籠橋について、『常山誌』(1932年)第一編、古蹟には次のようにある(意訳)。なお、「案内板」が籠橋の架設者を林衍に比定する根拠は不明。
籠橋。郡の南一里、洗錦川と加里川が合流する屈峙の前に存在する橋である。今をさかのぼること900余年前、高麗初葉、屈峙林氏の先祖で、「林将軍」と伝承される者が創設した。紫石で陰陽を配し、28宿に応じて28間とし、水門の間ごとにそれぞれ一石を架けており、横の長さは弓一張りほどである。その構造はすこぶる隙間だらけで、激しい雨水がみなぎり溢れたとき、橋の上の流れはほとんど数丈に至る。さかまく荒波がその間を突いても、かつて一石たりとも変動したことはなかった。しかし、歳月がすでに久しく、4間は埋没し、現在は24間を残すのみである。その架け渡し方をかえりみれば、乱石を積みかさねたものに過ぎず、渡るのに危険な早瀬があるけれども、千年の久しい時代を支え得たのであった。神異と称するのにふさわしい。