清見寺

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清見寺



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 山号は巨鼈山、本尊は観世音菩薩。もとは天台宗の古刹であったらしいが、鎌倉時代に禅宗に改められた。開山は聖一国師円爾門下の無伝聖禅という。朝廷や幕府等の為政者からの尊崇も篤く、東海道の代表的名刹としての位置を占めるようになった。

 江戸時代には、朝鮮通信使がここに立ち寄り、宿泊や休憩することが通例であった。寺には朝鮮通信使の遺した詩文が大量に残り、方丈にはそれを木板に彫った懸板が掛けられている。また、境内の各所では、通信使が揮毫した扁額を見ることができる。〔以上、『清見寺綜合資料調査報告書』静岡教育委員会文化課、1997年を参照〕

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総門にかかる扁額「東海名區」。玄徳潤の書。


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鐘楼。


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鐘楼にかかる扁額「瓊瑶世界」。朴安期の書。


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仏殿。


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仏殿にかかる扁額「興國」。趙珩の書。第12世洪安東恭和尚の書き直したものとも伝えられている(松田甲「駿河の清見寺と朝鮮信使」、『日鮮史話』第5編、朝鮮総督府、1929年)


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書院にかかる扁額「潜龍室」。金啓舛の書。


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方丈の懸板。


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方丈にかかる懸板のひとつ。洪啓禧らの作。


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方丈にかかる聯「窓含西嶺千秋雪、門泊東呉万里船」。金仁謙の作。


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