雲住寺址

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雲住寺跡

史跡第312号

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 雲住寺は、石で造られた石仏・石塔が一千基あった、わが国唯一の寺刹として著名である。

 現在は、石仏93基、石塔21基しか残っていないが、1481年に編纂された『東国輿地勝覧』には、石仏・石塔が各一千基あったと記録されていることから、朝鮮初期まで明らかに実在したものと判断される。現在残っている石仏像は、10mの巨大仏から数十cmの小仏像に至るまで、様々な種類の仏像が山野に散在している。これらの仏像は大体似たような様式であるが、平面的で土俗的な顔付き、石塔形の身体、ぎこちなくてバランスの取れていない手足、ぎこちなくも規則的な服飾、鈍重な技法などは、雲住寺にある仏像にだけ見られる特徴である。このような特徴は、高麗時代に地方化した石仏像の様式と類似した傾向を示しており、興味深い。おそらく、石人像を製作していた石工が大挙動員されて作った石仏像であろう。

 石塔21基も山野のあちこちに並んで立っているが、円形塔・円盤形塔のような特異な模様の塔もあり、三層・五層・七層・九層と層数も多様である。一般的な四角形塔は、幅が狭く高峻であり、屋蓋石が平面的であるため、高麗石塔の特徴を示している。蓮華台石がまれに見えるのも高麗様式の特徴である。特にこの石塔で目を引くのは、基壇や塔身石の面石に×◇Ⅲのような幾何学紋様が浮き彫りや線刻されている点である。このような幾何学的紋様の愛用は、仏像の幾何学的な服飾とともに、この雲住寺遺跡のもっとも特徴的な様式であり、高く注目される。このように、特異な石仏・石塔千余基がひとつの寺内に奉安されているのはわが国では唯一の例であり、千仏千塔に対する独特な信仰を示すもっとも重要な遺跡として高く評価され、加えて、美術史ないし仏教史研究に大きく貢献するものと考えられる。また、雲住寺は、1984年から1991年まで全南大学校博物館により4度の発掘調査と2度の学術調査が行われたが、雲住寺の正確な創建時代と創建勢力、造成背景に対する具体的な確証は明らかにされておらず、依然として神秘的な寺刹として残っている。〔以上、「案内板」による〕

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雲住寺全景。谷沿いに仏像と仏塔が林立する。


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七星石。北斗七星のように、丸い石が配置されている。


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雲住寺本堂。近年に建造されたもの。