全羅北道記念物第20号
この山城は、百済 義慈王20年(660)ころ、百済復興のために福信将軍が移民を糾合し、軍備を整頓して抗戦したが、羅唐連合軍の主将である金庾信と蘇定方に敗れた所と伝えられる由緒深い場所である。 禹金岩から開厳寺貯水池までの稜線の下、人工石と自然石で築かれた、周囲3kmを越える石城である。〔以上、「案内板」による〕
禹金山城遠景。山頂に見える岩が禹金岩。
禹金岩に掘られた洞窟。昔、寺があったといわれ、周囲に古瓦が散乱している。
禹金岩からの眺め。
来蘇寺 高麗銅鐘
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