龍門寺 正智国師浮屠及び碑

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龍門寺 正智国師浮屠及び碑

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 この浮屠は八角円筒形であり、地台石の上に、蓮華模様が彫刻された四角形の下台石が置かれている。その上には、円筒形の中台石が置かれており、側面に蓮華模様が刻まれている八角形の上台石が、中台石の上にある。塔身部は八角形であり、一面にだけ紋を刻み、八角形の蓋石は、上面の合閣〔切り妻〕線が分厚く、先端には華模様が彫刻されている。相輪部は現在、仰花石の部分のみが残っている。碑は、浮屠に附属する塔碑であり、朝鮮太祖7年(1398)に建立され、造成当時の賛助者の名簿と、正智国師についての内容が記録されている。この碑文は、権近がつづったものであり、太祖4年、天磨山 寂滅庵で世を去った高麗末の正智国師が中国の燕京で修学していたという点と、入寂当時、多くの舎利が現れ、太祖がこれを聞き、「正智国師」と追贈したという記録が残っている。この碑は元来、浮屠から約20m下方に建立されていたが、破壊され、1970年ころ現在の位置に再建したという。この浮屠と碑は、僧侶が世を去ると浮屠と塔碑を立てていた、新羅時代以来の伝統を継承しているのみならず、造成方法から朝鮮初期の浮屠研究の基準となっている。〔以上、「案内板」による〕

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現在、塔碑は浮屠から約50m下方に位置する


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