崇義殿

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崇義殿

史跡第223号

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 崇義殿は、朝鮮時代に前王朝である高麗の太祖王権をはじめとして、国を復興させた4名の王と、高麗の忠臣16名の位牌を祀り、祭祀をおこなう祀堂である。朝鮮初期、はじめて祀堂が建立され、文宗元年(1451)、崇義殿と名付けられ、以後、崇義殿の管理と典礼も高麗王朝の後孫に任せられた。

 崇義殿の設置背景には、朝鮮が儒教国家として歴代始祖の儀礼体系を整備した過程とともに、高麗王族および高麗遺民に対する懐柔の次元でおこなわれたものと理解される。

 崇義殿の建立以来、数度にわたって重修と補修がなされたが、朝鮮戦争により殿閣がすべて焼失した。崇義殿の復元は、1972年から1986年まで、数年にわたっておこなわれ、今日に至っている。現在でも、春と秋の二度にわたって、崇義殿大祭がおこなわれている。崇義殿は、高麗時代の旧王朝の栄光と高麗王朝を思慕する忠節が宿ったところである。〔以上、「案内板」による〕

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陪臣庁。