牛窓

牛窓は、古代・中世より、瀬戸内海の良港としてその名を知られていた。応永年間には、朝鮮使・宋希璟が訪れたこともある(『老松堂日本行録』)。
慶長・元和期では、通信使がその沖を通過するのみで、牛窓は接待を行うべき場所として指定されていなかったようである。しかし、寛永・明暦期になると、南北朝時代に創建された、日蓮宗の名刹 本蓮寺が正式な接待の場所として設定された。その後、天和期からは、幕府の遠国奉行や上使・目付を応接する目的で使用されていた、岡山藩の御茶屋で支供を受けることになった。〔以上、倉地克直「十七世紀の朝鮮使節と牛窓」『わが町に来た朝鮮通信使』Ⅰ・明石書店・1993を参考〕