李宗歓墓

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加唐島 オビヤ浦



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 加唐島は、百済第25代武寧王が生誕したという伝説が残る、玄界灘に浮かぶ小島である。『日本書紀』巻14、雄略天皇5年条に、

  • 六月丙戌朔、孕める婦、果して加須利君の言の如く、筑紫の各羅島にして児を産めり。仍りて此の児を名けて嶋君と曰ふ。是に、軍君、即ち一の船を以て、嶋君を国に送る。是を武寧王とす。百済人、此の嶋を呼びて主嶋と曰ふ。

とあるが、この各羅嶋=主嶋が加唐島に比定されている。

 文暻鉉氏は、「この島には武寧王が誕生したという伝説が今日まで伝わり、この島の近隣島嶼と陸地にも武寧王誕生説話が伝わっている」と記す。しかし一方、逵氏による島民への聞き取り調査によれば、武寧王生誕伝説は「ある日突然、降ってわいたような話」と捉えられているという。

 オビヤ浦については、相異なる二種の伝承が伝わっている。すなわち、ここで「朝鮮の王さまが生まれた」という伝承がある一方、いわゆる「三韓征伐」の際、神宮皇后が立ち寄って、着帯の式をあげたという伝承も残っているのである。現在では、「武寧王生誕の地」という点が強調され、神宮皇后説話については忘却されている状況にある。〔以上、『日本書紀』上、岩波書店、1967、文暻鉉「百済武寧王の出自について」『史学研究』60、 2000、逵志保「百済王伝説-佐賀県加唐島の武寧王生誕伝説をめぐって-」『国文学解釈と鑑賞』第70巻10号、2005を参照〕

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加唐島全景。


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オビヤ浦は内湾になっており、船が乗り付けやすい形状となっている


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武寧王が産屋をつかったとされる井戸 。


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近年設置の立て札。


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韓国からの漂着物。