百婆仙法塔

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釜山海 高徳寺



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 寺伝によれば、高徳寺の由来は次のように伝わっている。高徳寺の初代住持である浄信は、もと織田信長の近従の奥村掃部介と称する武士で、信長の死後、本願寺に帰依したという。天正13年(1585)、浄信は釜山に渡航し、釜山海高徳寺を建立。文禄の役に遭って釜山を引き上げた後、慶長6年(1601)、唐津城主の寺沢志摩守の懇望により、高徳寺を唐津に移したという。

 その後、明治10年(1877)、朝鮮に真宗を布教するようにとの、内務卿大久保利通の依頼を受けた東本願寺法主により、高徳寺の住持、奥村円心が釜山に派遣された。円心は、釜山に本願寺釜山別院を建立したのを皮切りに、元山・光州などに別院・布教所を建て、活発に布教を行っていった。また、金玉均・朴泳孝ら独立党関係者と密接な交流を結んだ。高徳寺にはいまも、彼らから送られた書信や贈り物が残っている。〔以上、大谷派本願寺朝鮮開教監督部編『朝鮮開教五十年誌』、1927を参考〕

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本堂の欄間には「釜山海」の山号が掲げられている


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境内には、愛国婦人会の設立者 奥村五百子の墓がある。