浄土寺法鏡大師慈燈塔碑

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 忠州市

浄土寺法鏡大師慈燈塔碑

宝物第17号

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 忠州ダムの水没地域内の浄土寺址にあった碑を、1983年に発掘調査を実施した後、現位置に移したが、高麗太祖26年(943)に法鏡大師の功徳を称頌するために立てた碑である。

 法鏡大師は、新羅末~高麗初の高僧であり、浄土寺を創建、布教に尽力し、高麗太祖7年(924)に国師に推戴され、太祖24年(941)に64才で亡くなると、生前の業績にしたがい、法鏡という号を下し、功徳を称頌するために、崔彦撝が文をつづり、名筆 具足達が書き、建立した。

 この碑文では、忠州を「中州」と表記しており、塔平里七層石塔を中央塔と呼ぶことと同じ脈絡により、この地域が韓半島の中心地であったことを示している。

 仏の真理が四方に広がる光を象徴する、如意珠をくわえている亀趺と、霊魂が天上の世界に引導されることを意味する、二匹の龍を彫刻した碑首は、高麗初期の石造美術の精髄である。

 法鏡大師慈燈塔は、日帝干渉期に日本に搬出されたという。〔以上、「案内板」による〕

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