青龍寺址

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 忠州市

青龍寺址

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 いつ誰によって、青龍寺が創建されたかは、明らかでない。ただ、普覚国師定慧円融塔碑によって、14世紀半ば頃には、既に青龍寺が存在したことが知られる。その後、朝鮮 世宗代の記録によれば、非常に多くの田地を所有し、頗る隆盛したようである。17世紀末に立てられた、境内の位田碑の記すところによっても、その繁栄は続いていたことが確認される。しかし、18世紀末から19世紀半ばのある時期、廃寺となり、今は礎石と石築が残るのみである。

 青龍寺は、仏書の刊行地としても名高く、高麗時代末には、『禅林宝訓』『護法論』『禅宗永嘉集』などが刊行された。〔『忠州 青龍寺址 ―発掘調査報告書―』、忠州産業大学校博物館、1996による〕

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雑草に覆われた石築。


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現在の寺址には、畑が広がっている