修徳寺

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修徳寺

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 徳崇山の南側に位置する修徳寺は、現存する百済の古刹の一つであり、創建に関する正確な文献記録は残っていないが、学会では、百済 威徳王(554~597)在位時に創建されたと推定されている。修徳寺は、創建以後、百済の高僧 恵現和尚が住職となり、法華経の講論を開き、高麗 忠烈王34年(1308)には大雄殿(国宝49号)が建立され、現在に至っている。以後、重修記によれば、中宗23年(1528)、英祖27年(1751)と46年(1770)、純祖3年(1803)に色彩補修、浮椽と風板の改修など、4次に渡って補修されたという。1937年から1940年まで満空和尚の代には、大雄殿全体を解体補修し、この際、包壁からは高麗・朝鮮両時代に渡って描かれた壁画が発見され、注目を集めた。朝鮮時代に描かれた壁画の両側から発見された高麗壁画は、奏楽飛天図・供養花図・樹華図などがあり、朝鮮時代に描かれた五仏図などがあったが流失し、現在はその模写本が国立中央博物館に保管されており、写真資料が一部伝わっているのみである。現在、大雄殿の建物内部の大梁に残っている金竜図は、優雅な色彩と生動感溢れる筆致の傑作であり、高麗仏教美術の美を垣間見せている。

 修徳寺は、近代韓国仏教の禅風を振起した鏡虚・満空和尚が住職となり、韓国仏教を中興させた道場である。境内には、大雄殿・青蓮堂・白蓮堂・祖印精舍・黄河精樓・槿域聖宝館・金剛門・天王門・一柱門の堂宇を備えており、大雄殿の前には統一新羅末高麗初に製作された三層石塔がある。山内には、定慧寺・少林草堂・香雲閣・金仙台・転月舍など、庵と土窟があり、定慧寺には能仁禅院があり、鏡虚・満空和尚の禅脈を継承する禅院として、多くの高僧大徳の出現地であり、昨今も禅客が列をなす道場でもある。また、徳崇山の西側の筋には、比丘尼第一禅院である見性庵があり、金一葉和尚が住職となった歓喜台や極楽庵・善修庵など、比丘尼の庵がある。近来は、僧家大学を設立運営しており、四部衆が徹夜勇猛精進を行うなど、叢林としての威容を備えている。〔以上、「案内板」による〕

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修徳寺へ続く参道。


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大雄殿前の三層石塔


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金元周(一葉)の滞在した見性庵。