船橋荘
この家屋は、朝鮮後期の典型的な上流住宅であり、孝寧大君の11代孫である嘉善大夫 茂卿 李乃蕃が18世紀初に、ここに移住して開基したといわれ、母屋と舎廊〔主人の居間〕、行廊〔下僕の部屋〕、東別堂・亭子が備わっている。「船橋荘」という名は、この郷の古名が船橋里であることに由来するという。
母屋は「己」字形に配置され、東別堂と連結している。舎廊は舎廊庭の北側にあり、純祖15年(1815)、茂卿の孫である鰲隠処士 李垕が建てたが、「悦話堂」という名は、陶淵明の帰去来辞の中の「悦親戚之情話」から採ったという。
西別堂と行廊の一部は無くなっているが、西別堂は1996年に復元された。外庭の南側には広い蓮池があり、活来亭と呼ばれる「フ」字形の平面の亭子があるが、純祖16年(1816)、李垕が建て、その曾孫である李根宇が重建した。「活来亭」という名は、朱子の詩の中の「為有源頭活水来」から採ったという。
低い山裾を背景とし、独立した建物が適当に配置され、各建物の構造も虚飾が無く素朴であり、蓮池に建てられた活来亭と調和し、自然と大らかな雰囲気を醸し出している。〔以上、「案内板」による〕