居頓寺址
この寺址は、現在残っている三層石塔(宝物第759号)から見て、新羅時代に創建されたと思われる。一塔式伽藍配置をしているこの寺址には、高い築台の上に中門を建てた場所があり、その後に三層石塔と金堂跡、講堂跡が残っている。金堂は寺の中心建造物であり、規模が前面6間、側面5間となっている。この中には、2mほどの高さの花崗岩で作られた、仏を祀っていた仏台座がある。金堂の右側と後には、石築を築き、建物を建てていた痕跡があり、井戸の跡も発見されている。
寺の後方の丘の上に、今は景福宮に移されている円空国師勝妙塔のあった場所がある。円空国師勝妙塔碑は、寺の右端に位置している。左方には、この寺から出てきた各種の石材が集め置かれている。この寺がいつ無くなったのか、確実な年代は知られないが、壬辰倭乱の際、燃えて無くなったと伝わる。寺址の下方、旧鼎山分校の跡にある、完成されていない巨大な幢竿支柱を見れば、この寺の規模が推測される。〔以上、「案内板」による〕