原州 碑頭里 亀趺 及び螭首
この遺物は、元来、文幕邑、厚用里 ヨンバウィ(龍岩)谷にあったものをここに移してきたと伝わっている。碑石は残っておらず、碑台は亀趺と碑石の蓋石である螭首のみ残る。
亀趺は亀というよりは、龍に近く、頭を左に回して後方を見上げている姿が特異である。背は六角の亀甲紋様であり、いかなる文字や模様も入っていない。下降した背中の亀甲は先端が上に巻き込まれている。背の上の碑台は四角く、高く上がっているが、模様は入っていない。
螭首の下方部分には蓮花が彫られており、その上には、雲中で全身を鱗で覆われた二匹の龍が歯を出し、目を剥き、互いを睨んでいる。もつれた四つ脚と鋭い爪は如意珠をしっかりと握りしめ、すぐにでも戦うような姿勢を取っており、緊張感があふれている。側面と後面の彫刻も、前面と同じように彫刻されている。螭首の上面は、4つの穴から水が落ちるようになっており、背面は一部が破損している。
碑石がなく、いつ誰のものか知られないが、彫刻の様式から見て、高麗前期の作品と推測される。類似の作品としては、1026年に造られた奉先弘慶寺碑碣(天安所在、国宝第7号)がある。〔以上、「案内板」による〕