金堤 碧骨提碑 及び 堤防

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金堤 碧骨提碑 及び 堤防

史蹟第111号

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 この堤防は、百済 比流王27年(330)に築かれたが、このように大規模な堤防としては我が国で最も古いものの一つである。統一新羅 元聖王代(785~798)に増築し、高麗と朝鮮時代に数度修理されたが、以後、効用度が小さいとして放置された。今は、ピョギ里からウォルスン里に至る約3kmほどの堤防が残っている。その南北端の2箇所に、水門として使われていた巨大な石柱が一対ずつ立てられている。日帝期、堤防が感慨水路として利用され、原型を大きく損傷した。発掘調査によれば、元来の堤防の高さは6m内外であり、底辺の幅は23mほどであったと思われる。堤防下の長生渠の東側に、朝鮮時代に立てられた碧骨提碑がある。この碑石には、堤防を修築したという内容が彫られているが、摩耗が激しく、判読は困難である。〔以上、「案内板」による〕

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長生渠。


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元の貯水池址。現在は田地が広がっている。


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金堤の西端、草鞋山。


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経蔵渠。


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碧骨提碑。