二聖山城

漢江流域は、三国時代には、475年まで百済が専有しており、歴史学者は、春宮洞〔二聖山城のある洞〕が属している河南市一帯を百済初期の都邑地と推定している。山城は総1925mであり、自然の地形に沿って石で築造され、漢江流域に位置しており、周辺の三国時代の諸城を眺めることのできる中心的位置にある。発掘結果、城内には天壇や社稷壇・貯水池・信仰遺蹟など、多様な遺構が確認された。建物址は勇壮で洗練されており、よく発達した形態を有しており、学者によれば、百済の漢城時代の山城に比定されている。〔以上、「案内板」による〕