光海君墓

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光海君墓

史跡第363号

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 光海君墓は、朝鮮第15代の君主である光海君と、王妃の文城君夫人柳氏の墓である。

 光海君は、宣祖の後を継いで、1608年、王位にのぼり、在位中に外交・文化などに多くの治績を残したが、党争に巻きこまれ、光海君15年(1623)、仁祖反正によって王位から追われた。廃位された後、江華を経て、済州島で流配生活を送り、仁祖19年(1641)、67歳で亡くなった。夫人柳氏は、仁祖反正で王妃の座を追われ、仁祖元年(1623)、流配地である江華で亡くなった。

 墓は、大君の礼にしたがって祭祀をおこなたっため、後方には石物がなく、前に碑石・床石・望柱石・文人石などが配置されている。〔以上、「案内板」による〕

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石碑。表面に銃痕がみえる。


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石燈。こちらも損傷している。


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文人石と望柱石


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夫人の墓と石碑。