普信閣鐘

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普信閣鐘

宝物第2号
(在国立中央博物館)

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 朝鮮 世祖14年(1468)、円覚寺(現在のタプコル公園)に掛けるために造られた鐘である。寺がなくなった後、あちらこちらに移され、光海君11年(1619)、普信閣に移され、罷漏(午前4時)に33回、人定(午後10時)に29回鳴らし、都城の門を開け閉めする時間を知らせるのに使われた。ひとつの胴体の両側に龍頭が付いた装飾である龍紐が掛けられており、〔鐘の〕胴体の中央には三重の太い帯が巻き付けられているが、このような模様の鐘は、高麗末から流行しはじめ、朝鮮時代に入って広く造られている。〔以上、「案内板」による〕

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従来、鐘身の四面には菩薩像があったが、普信閣に鐘が移されるとき、排仏思想の影響により削り取られたと推定される。(廉永夏『韓国의 鐘』서울大学校出版部、1991年

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銘文には、鐘を造った年紀と人員が列記されている。