洗剣亭址

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洗剣亭遺址

ソウル特別市記念物第4号

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 洗剣亭は、弘済川の一帯の景色を観賞するために建てた亭子(東屋)である。昔から景色が良いことで有名であり、多くの文化作品の背景となった。亭子を初めて建てたのがいつなのか確実でないが、英祖24年(1748)に建て直し、洗剣亭の懸板を掛けた。洗剣亭という名は、剣を洗い、平和を願う場所という意である。現在の建物は、1941年に火災で焼失したものを、謙斎 鄭歚(1676~1759)が描いた「洗剣亭図」を下敷きに、1977年に復元したものである。絵の洗剣亭は、亭子の後ろに低めの垣根が巡らされており、道側に門があり、小川側にも小さな門があり、今とは少し異なる姿である。粛宗代に、北漢山城とソウル都城を連結する蕩春台城を建設するなど、この一帯がソウル北方の関門として重要性が大きくなり、武臣の休息所としてしばしば利用された。また、付近に紙を作っていた造紙署があり、実録の編纂が終われば、使用した紙を洗う、洗草の作業がここで行われていた。洗剣亭址は、景色の良い渓谷に亭子を作り、自然を楽しむ朝鮮時代の人々の生活文化がよくうかがわれる場所であり、重要な歴史的な事件の舞台となったソウルの都城外の景勝地である。〔以上、「案内板」による〕


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弘済川。


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川辺には、石を切り出した跡がみえる。