淑容沈氏墓表

sign.jpg

淑容沈氏墓表

ソウル特別市記念物第25号

s-SAUFDKAS (2).jpg

 この碑は、朝鮮 第9代の成宗の後宮である淑容沈氏(?~1515)の墓の前にあった墓表である。淑容沈氏は、世祖の即位に功を立て原従功臣にのぼった沈末同の娘である。淑容沈氏は、成宗24年(1493)以前に成宗の後宮となり、二男(利城君・寧山君)二女(慶順翁主・淑恵翁主)を生んだ。淑容沈氏は、中宗10年(1515)に世を去ったと記録されている。墓表は、螭首・碑身・碑座で構成されている。螭首と碑身は白大理石一つで作られており、花崗岩で作られた碑座に差し込まれている。螭首には尾のない螭(みずち)が普通であるが、ここでは尾のある龍を雲紋の中に表現している。碑座は2段で構成されている。この墓表は、日本の首相・大蔵相などを経て、1936年に暗殺された高橋是清の記念公園(日本東京都港区所在)の中にあったが、2001年、後孫の努力で韓国に返還された。この墓表は、成宗大王の後宮である淑容沈氏の墓が実在したということを知らせてくれる王室の遺物である。400余年の間、日本にあり、還ってきたものとして歴史的な価値が高い。〔以上、「案内板」による〕


s-SAUFDKAS (1).jpg


s-SAUFDKAS (3).jpg

* 1970年代、福岡県田川市在住の篤志家により、英彦山中の某所に毛谷村六助と論介の「墓」および「供養碑」が作られた。ただし、この土地は、お園の妹お菊の供養塔があった場所と伝わっており、六助とは直接の繋がりはない。墓の脇に立つ宝寿院という堂には、かつて論介の肖像画や位牌があったというが、現在は撤去されている。


s-IMG_4435.jpg

木田孫兵衛の墓。


s-IMG_4437.jpg

論介の墓。


s-IMG_4424.jpg


s-IMG_4422.jpg

慰霊碑。


s-IMG_4428.jpg

宝寿院。


s-IMG_4430.jpg

慰霊碑。