檜巌寺址 禅覚王師碑
高麗末の僧侶、禅覚国師懶翁(1320~1376)を追慕するため、王の命令により立てた碑である。檜巌寺は、高麗恭愍王13年(1364)に、懶翁が悟りを得て、中国に行くことを決心した場所であり、恭愍王19年以後、住持として留まった。
碑は、ある事跡を後世に伝えるため、その内容を石などに刻んで立てたものであり、仏教では禅宗が流行し僧侶の行跡を残すため、浮屠とともに建立された。碑は、下から上より、亀趺―碑身―蛟首で構成される。
碑は、寺址の北西方の尾根に位置しており、亀趺・碑身・蛟首を備えている。亀趺の形態は繊細でないが、蛟首の龍の彫刻は非常に写実的である。〔以上、「案内板」による〕