檜巌寺址 禅覚王師碑

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檜巌寺址 禅覚王師碑

宝物第387号
(在檜巌寺址)

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 高麗末の僧侶、禅覚国師懶翁(1320~1376)を追慕するため、王の命令により立てた碑である。檜巌寺は、高麗恭愍王13年(1364)に、懶翁が悟りを得て、中国に行くことを決心した場所であり、恭愍王19年以後、住持として留まった。

 碑は、ある事跡を後世に伝えるため、その内容を石などに刻んで立てたものであり、仏教では禅宗が流行し僧侶の行跡を残すため、浮屠とともに建立された。碑は、下から上より、亀趺―碑身―蛟首で構成される。

 碑は、寺址の北西方の尾根に位置しており、亀趺・碑身・蛟首を備えている。亀趺の形態は繊細でないが、蛟首の龍の彫刻は非常に写実的である。〔以上、「案内板」による〕

* 1997年、墓参り客の不注意による火災により、禅覚国師碑とその碑を保護するために設けられた碑閣が全焼し、碑は甚だしく損傷した。現在、亀趺が残るのみであるが、その傍らに、一般人の参観のため、原型の姿そのままに模造碑を建てている。なお元の碑身は、国立文化財研究所保存科学研究室によって復元作業が行われ、往時の姿を取り戻し、別に保存されている。〔以上、案内板、及び『檜巌寺址 禅覚王師碑 保存』、国立文化財研究所、2001による〕


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半壊した頭部。損傷の跡が痛ましい。


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全体的にダメージがひどい


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前述の模造碑。ただし、損傷前の碑の写真を見る限り、亀趺の形態は原物と全く異なる。


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