彦陽邑城

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彦陽邑城

史蹟第153号

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 この邑城は、平地に正四角形に築いた城であり、国内では非常に珍しい。三国時代から土で築かれた土城があったが、石では、1500年(燕山君6年)に初めて築かれた。壬辰倭乱の際、崩れたものを、1617年(光海君9年)に新たに築いた。

 『新増東国輿地勝覧』によれば、城の周りは3,604尺、高さは13尺であった。城壁の4面にはそれぞれ門を造り、門の上には映花楼などの楼閣を置いた。城壁の角には、歩哨兵が監視していた角楼を建て、城門の周囲には、城門を保護するために、甕城を築き、城門と角楼の間には雉城(城壁に這い上がる敵兵を射るために、城壁から外側に突出させて造った施設)を置いた。城内には各種の官衙があったが、東方に東軒が、西方に客舎(現 彦陽初等学校の場所)があった。東西南北を貫通する道路と東門と西門を横に貫く水路があり、4個の井戸もあった。

 この邑城は、15世紀末、朝鮮時代の平地邑城の典型であり、構造と築造の手法は、当時の平地邑城研究に重要な史料となる。〔以上、「案内板」による〕

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城壁の上では畑が耕されていた。


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蔦に覆われた雉城。


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城壁の上では畑が耕されていた。


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城壁より客舎方面を望む。城内は畑と人家が列なり、往時の面影は見出せない。