鞆の浦

鞆の浦は古代より瀬戸内の要港として発展しており、遣新羅使もこの浦を通過している。中世・近世に至っても重要視され続け、毛利氏・福島氏らによって鞆城が築かれ、城下町的色彩を備えることもあった。寛文12年(1672)、河村瑞軒による西回り航路の整備以後、北前船・九州船が寄港し、いちじるしく発展することになる。
江戸時代、朝鮮通信使の寄港地となり、福山藩によって饗応が行われた。通信使一行は、福禅寺対潮楼・円福寺・医王寺・阿弥陀寺などに分宿した。〔以上、『鞆の浦の自然と歴史』鞆の浦歴史民俗資料館友の会・2002、池田一彦「対潮楼と通信使」『図説朝鮮通信使の旅』・明石書店・2000を参考〕