鞆の浦

sign.jpg

鞆の浦



s2006_10110316.jpg

 鞆の浦は古代より瀬戸内の要港として発展しており、遣新羅使もこの浦を通過している。中世・近世に至っても重要視され続け、毛利氏・福島氏らによって鞆城が築かれ、城下町的色彩を備えることもあった。寛文12年(1672)、河村瑞軒による西回り航路の整備以後、北前船・九州船が寄港し、いちじるしく発展することになる。

江戸時代、朝鮮通信使の寄港地となり、福山藩によって饗応が行われた。通信使一行は、福禅寺対潮楼・円福寺・医王寺・阿弥陀寺などに分宿した。〔以上、『鞆の浦の自然と歴史』鞆の浦歴史民俗資料館友の会・2002、池田一彦「対潮楼と通信使」『図説朝鮮通信使の旅』・明石書店・2000を参考〕

s2006_10110306.jpg

医王寺。


s2006_10110330.jpg

阿弥陀寺


s2006_10110393.jpg

本願寺。


s2006_10110439.jpg

円福寺。


s2006_10110278.jpg

雰囲気の良い街並み


s2006_10110372.jpg

鞆の浦には野良猫がいっぱい。妙に人懐こい