西雲院 宗厳の墓

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西雲院 宗厳の墓



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 金戒光明寺の塔頭のひとつ西雲院の開基・宗厳の墓である。

 宗厳は、1592年、文禄の役の際、福知山城主・小野木縫殿助の軍により朝鮮で捕らえられ、17才で日本に連行された。翌年、蜂須賀家政を通じて、政所(北の政所か)に献上された。その後、滝川雄利に譲られ、その娘の側仕えをしたという。娘が若年で死去した後、宗厳は世の無常を感じて浄土宗に入り、諸国を行脚した。

 1616年、金戒光明寺の了的上人に見込まれ、紫雲石(法然が座って念仏を唱えたといわれる石)の場所が与えられたため、そこに西雲院を建てた。1628年、死去。〔以上、仲尾宏「壬辰倭乱被虜人・西雲院宗厳」『講座・人権ゆかりの地をたずねて』世界人権問題研究センター、2003を参照〕

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西雲院本堂。


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紫雲石。


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墓碑の内容は判読不可能。