鶴満寺 高麗鐘

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鶴満寺 高麗鐘

重要文化財

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 鶴満寺の鐘楼に掛かる鐘は、江戸時代から好事家の注目するところとなり、『扶桑鐘銘集』を始めとして『摂津名所図絵』『浪華の賑ひ』等の地誌、大田南畝の『葦の若葉』などにその記事が見られる。

 この鐘は、通高92,4cm、口径約58.5cmであり、上帯の主文帯、乳郭帯の主文などが、佐賀の恵日寺鐘(1026)、勝楽寺鐘(1026、今失)のそれと同じ鋳型で作られており、同一工人ないしは同一工房で製作されたと推定される。ただ、龍頭は恵日寺鐘と様式が違い、異形な姿である。

 原銘は短冊形の輪郭を設けて、その中に二行に陽鋳されている。曰く、「太平十年十二月日 寺棟梁元廉節□ 青金鍾入三百斤 長二尺四寸二□」。太平十年は高麗 顕宗21年(1030)にあたる。原銘の上部には追刻銘があり、この銅鍾が、永和5年(1379)に現在の山口県宇部市の普済寺のものであったことがわかる。なお、『摂津名所図会大成』では、毛利藩の城下の土中から掘り出されたものが、鶴満寺に寄進されたと伝えている。〔以上、坪井良平『朝鮮鐘』、角川書店、1974を参照〕

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龍頭。もはや龍の姿を止めていない。


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原銘。


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飛天像。


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