丹陽 新羅 赤城碑

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丹陽 新羅 赤城碑

国宝第198号

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 この碑は、三国時代に新羅が竹嶺を越え、丹陽一帯の高句麗領土を占有して国境を拡張し、ここの百姓を宣撫(国民や占領地住民に本国の施策を理解させ、民心を安定させること)した標石として立てたもので、1978年、檀国大学校学術調査団によって発見調査された。

 当時、真興王が命じ、新羅の拓境(国境開拓)を助け、忠誠を捧げた赤城人の也而次の勲功を表彰すると同時に、将来、新羅に忠誠を捧げる人には同様の褒賞を下すという国家政策の布告内容が記されている。

 この碑文には国王の命令を受けた高官10人の名前が現れているが、そのうち真興王代に大功を立てた人物として、伊史夫、比次夫、武力などが注目される。

 このような人物が活動していた時代的状況から見て、この碑の建立年代は新羅 真興王6~11年(545~550)頃と推定される。〔以上、「案内板」による〕

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