普賢寺 大雄殿

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普賢寺 大雄殿

江原道文化財資料第37号

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 普賢寺は、新羅 善徳王4年(650)に慈蔵律師が創建した寺刹であり、廃墟となったが、新羅 景哀王のとき、国師 朗円大師によって重創され、当時には地蔵禅院と呼ばれた。

 その後、この寺がどのように焼失したのか確実でないが、現建物の建立年代は、建築様式と三間の神将像の絵画手法から見て、朝鮮後期と思われる。

 建築様式は、正面3間、側面3間、二軒八作屋根の多包屋であり、法堂内には三尊仏が奉安されているが、近年に改金された。〔以上、「案内板」による〕

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ほとんど原型をとどめていないが、石塔のようである。


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石仏か?


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