興法寺址

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興法寺址

江原道文化財資料第45号

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 霊鳳山の麓にある興法寺が、いつ創建されたのかは知られない。寂然国師 英俊が、932年(太祖15)に、ここで生まれたということと、ここにあった真空大師碑の、真空大師が940年(太祖23)に、ここで亡くなったという記録から見て、すでに新羅末に、巨大な規模の寺刹があったということが知られる。この寺がいつ無くなったのかは明らかでないが、朝鮮時代前期まで、寺と真空大師塔に関する言及があることから見て、壬辰倭乱の際、焼けて無くなったと推定される。1693年(粛宗19)、ここに陶川書院が建立されたが、1871 年に廃止された。

 この寺は、一塔式の寺配置をしており、遺物としては、興法寺址 三層石塔と、宝物第463号である興法寺址 真空大師塔碑亀趺及び蛟首がある。建物址としては、塔の東方10m地点の築台の上に、中門と思われる址があり、塔の前である西方に、寺の中心の建物である金堂があったと思われる。この他にも、泉といくつかの建物址が周辺にあり、寺の北東方の山裾には、ソウルの景福宮に移した真空大師塔を祀っていた場所が残っている。

 この寺は、高麗太祖が興法禅院を造り、真空大師に教化を任せ、多くの人々が集まったという記録から見て、近隣の鼎山里 居頓寺、驪州 高達寺などと共に、高麗前半期の禅宗系の寺として大きな役割を果たしていたと思われる。〔以上、「案内板」による〕

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この石築の上に、興法寺址が広がる。


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2004年8月現在、発掘調査中である 。