荒山大捷碑址

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荒山大捷碑址

史跡第104号

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 ここは、高麗末、李成桂が倭寇と戦い、大勝を得た戦跡地である。錦江入り口で退路が塞がれた倭寇は、ここに駐屯し、後日、海に逃げようとした。高麗郡の最高指揮官である李成桂は、敵将アジバルドと熾烈な戦闘を繰り広げた。李成桂がまず弓を射て、アジバルドの兜を落とし、ついで李豆蘭が放った矢が彼の頭に命中した。これに力を得て、高麗軍は、指揮者を喪い右往左往する倭寇を殲滅した。宣祖代、王命を受け、金貴栄の文、宋寅の字により、大捷碑が立てられたが、日帝強占期〔植民地期〕、日本人によって破壊された。光復〔植民地解放〕後、旧の碑石を復旧し、1972年、申奭鎬がハングルで文を書き、新たに立て直した。わが先祖〔韓国人〕が倭寇の侵奪に立ち向かい、ひるまず掘り起こした歴史の香りが漂う場所である。〔以上、「案内板」による〕

s-8or23v12 (11).jpg銘文の文字が鑿で削られている。


s-8or23v12 (15).jpg再建された碑


s-8or23v12 (14).jpg再建碑の亀趺は16世紀当時のもの。