三幕寺

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三幕寺

伝統寺刹第9号

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 三幕寺は、今から1,300年前、新羅文武王17年(677)に、元暁、義湘、潤筆の三聖人が庵を建て、精進したことが三幕寺の根本であり、三神山という名前もこの時付けられたという。
 その後、道詵国師(827~898)が仏像を祀り、観音寺と呼び、寺刹が隆盛した。道場の組織が中国 韶州の「三藐寺」を真似て「三藐寺」と呼び、いつからか「三幕」と変わった。

 高麗忠穆王4年(1348)、懶翁大師と印度僧 指空がここに来て、禅風が大いに起こった。朝鮮初、無学大師により、東方の仏巌寺、西方の津寛寺、北方の僧伽寺とともに、漢陽の南方の裨補寺刹としてその役割を果たした。

 その後、太宗代、大重創があり、壬辰倭乱時、倭寇が侵犯し、寺に火を放ったが、仏殿建物が焼けず、倭寇は懺悔して立ち去ったという。

 近代には、種痘法を実施した池錫英の兄、池雲英がここに白蓮庵を建てて隠居した。

 現在、朝鮮後期の建築様式を残す望海楼と明王殿(京畿道文化財史料第60号)があり、高麗時代の三層石塔、一名サルレ塔(京畿道有形文化財第112号)と事蹟碑(京畿道有形文化財第125号)、男女根石(京畿道民俗史料第3号)、磨崖三尊仏(京畿道有形文化財第94号)と三亀字、甘露井など、多数の非指定文化財があり、三幕寺の歴史を垣間見せてくれる。〔以上、「案内板」による〕

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ご住職によれば、三幕寺には朝鮮時代の梵鐘があったが、10数年前の火事で焼失したとの由。


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事蹟碑。


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男根石。