顕陵

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顕陵

史跡第193号(在 東九陵)

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 顕陵は、朝鮮第5代王の文宗(1414~1452、在位1450~1452)と顕徳王后権氏(1418~1441)の陵であり、同原異岡陵である。文宗は、世宗の末子であり、世宗の訓民正音の創設を助け、在位3年の間、『高麗史』と『高麗史節要』を編纂し、軍事制度を整備した。顕徳王后は、権専の娘であり、王妃となる前に端宗を生んだ後、すぐに世を去り、京畿道安山に安葬された。以後、〔顕徳王后の陵は〕文宗即位年に昭陵に格上げされたが、端宗の復位事件により、世祖が他の場所に移し、中宗8年(1513)、ここに移して造成した。西側が王陵であり、東側が王妃陵である。〔以上、「案内板」による〕


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文宗陵。


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顕徳王后陵。


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1755年に立てられた顕陵碑。