北漢山 新羅 真興王巡狩碑

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北漢山 新羅 真興王巡狩碑

国宝第3号

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  この碑は、新羅 真興王(在位540~570年)が新たに確保した領土の国境を、直接巡見した事実を記念するために立てられたものである。このような碑を「巡狩碑」と呼ぶが、真興王巡狩碑が立てられた場所としては、現在の慶尚南道 昌寧、咸鏡南道 利原の磨雲嶺と、吉州の黄草嶺、そして京畿道 北漢山 碑峰の四箇所が知られている。

 この碑文は、文字が摩滅し、全体の内容を知ることはできないが、真興王の領土拡張と地域巡視を称賛したものと見なされており、ここに出てくる人名・地名・官職名は当時の歴史を研究するにあたり、重要な史料となっている。

 永い歳月が流れ、この碑は世の人々から忘れられており、文字も読みづらくなっていた。朝鮮時代に無学大師が朝鮮王朝の都邑地を探しまわっていたとき、この碑峰に登ってみたところ、「無学が誤ってここに尋ね至った(無学誤尋到此)」と書かれており、急いで下山したという伝説が伝わっており、真興王巡狩碑という事実自体が忘れられ、「無学大師碑」と誤伝されていた。

 しかし、1816年、当代の金石学者である秋史 金正喜は、この碑を直接尋ね、碑文を拓して研究した結果、全68字を解読し、この碑がまさに真興王巡狩碑であることを明らかにした。翌年、金正喜は再びこの碑を尋ね、碑石側面に、自分がこの碑を尋ねた日字と、この碑が新羅真興王巡狩碑であることを確認したという事実を彫った。

 この碑の建立年代は、真興王29年(568)に立てられた磨雲嶺・黄草嶺碑とほぼ同時期と推定される。元来、碑石の上部は蓋石で覆われていたが、今は痕跡のみ残っている。元の碑石は風化がひどいため、1972年、国立中央博物館に移転し、展示・保存されている。2006年10月には、元の場所に複製碑石を立て、歴史的現場を保存している。〔以上、「案内板」による〕

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背面。


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碑はかなりの絶壁に立っているため、近づくのは骨が折れる。


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遠方より碑峰を望む。岩の上に立っている小さな突起が碑。