慶熙宮 崇政殿

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慶熙宮 崇政殿

ソウル特別市有形文化財第20号(在東国大学校)

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 崇政殿は、光海君9年(1617)と光海君12年(1620)の間、宮闕を造った際に建てたものであり、慶徳宮(英祖代に慶熙宮と改称)の正殿である。1910年、日本人が通う京城中学校をここに設立し、慶熙宮全域はひどく毀損した。崇政殿は他の建物より、比較的遅い1926年に南山の麓の曹渓寺に移築され、1976年に再びここに移された。今は学校(東国大学校)の法堂である正覚院として使われている。近年、慶熙宮の復元工事の際、崇政殿を移築しようとしたが、変形がひどいために、ここに置くことにし、発掘結果を土台として慶熙宮に新しく〔崇政殿を〕建てた。

 宮闕の正殿にあうように二重の月台(殿の前に置かれた壇)を築き、その上に正面5間、側面4間の建物を載せ、柱の上は多包式で栱包(斗栱)を組み、入母屋屋根としている。内部にあった御座はなくなったが、代わりに仏壇を設けている。崇政殿周辺は元来、四方に門を置き、回廊を巡らせていた。南側には崇政門、東側には麗春門、西側には宜秋門、北側には資政門があった。慶熙宮の姿は『西闕図案』(宝物第1534号)を通じて推測することができる。〔以上、「案内板」による〕


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「正覚院」の額は、書芸家・金忠顕(1921~)の作。