楊鎬去思碑
楊鎬去思碑は、丁酉再乱〔慶長の役〕の際、援軍としてきていた明の将帥楊鎬の功績を記念した功徳碑である。宣祖30年(1597)、丁酉再乱の際、楊鎬は明の5万の軍士を率いて朝鮮に入り、倭軍の北上を防いだ。楊鎬の功徳を記念するため、全4基の碑石が立てられたが、これらは、宣祖31年(1598)、光海君2年(1610)、英祖40年(1764)、憲宗元年(1835)に立てられたものである。そのうち、ここ[明知大学校]にある碑石は宣祖代のものであり、憲宗のときに作られたものは、ソウルの大新高等学校で発見された。この碑石は、明知大学校が西小門洞の宣武祠(中区西小門洞120番地所在)一帯にあったが、1974年10月、南加佐洞に移転する際、一緒に移されたものである。
全体的な形態は、蓮華が彫刻されている四角基台の上に、一面にだけ文が刻まれた碑石を立てて、蓋石を置いた姿である。蓋石には雲の上に座り互いに見つめあっている2匹の龍が彫られているが、精巧に彫刻された2匹の龍が如意珠を見つめる姿が独特である。〔以上、「案内板」による〕