法広寺址

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法広寺址

慶尚北道記念物第20号

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 ここは飛鶴山 法広址である。法広寺は、新羅 真平王代、元暁大師が王命によって創建されたと伝わっており、その後、興徳王3年(828)、香照と元寂が財を喜捨して釈迦無二仏の舎利塔を立て、舎利22粒を奉安したという。

 朝鮮 英祖22年(1746)、五層石塔を改修する過程で、22粒の釈迦無二の真身舎利が発見されたため、銅函を作り、塔の二層に奉安した。高宗24年(1887)、三層のみ残っていた石塔を改修する過程で、1750年の重修の事実を記す『舎利塔重修記』が発見された。

その後、再び火災で焼失し、現在残る遺物としては石塔と、直径2.2m、外周7.3mの蓮花釈仏座台、高さ1.4m、直径1.8m、外周0.5mの双頭亀趺がある。

 1968年、塔の中から塔誌石2個が発見され、法広寺の来歴が明らかになった。塔誌石は現在、東国大学校博物館に保管されている。〔以上、「案内板」による〕

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幢干支柱。


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仏像台座と基壇。


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釈迦仏舎利塔碑(1750年)。


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石塔。