相島 朝鮮通信使客館跡

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相島 朝鮮通信使客館跡



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 江戸時代、徳川将軍の代替わりごとに、朝鮮国王の国書を携えた通信使が日本を訪れた。通信使の来日は12回に及ぶが、その都度、玄界灘に浮かぶ相島に滞在するよう規定されていた(ただし、最後の通信使は対馬での易地聘礼を行ったため、相島を訪れていない)。

 通信使の来島のたびに、福岡藩によって、約1,5000平米に及ぶ客館が建てられた。客館では、食事・宿泊の提供とともに、貝原益軒・亀井南冥ら博多の文人と通信使一行による詩文の交流が行われることもあった。通信使が島を離れれば、客館は即座に解体されたため、現在、その跡は全く残っていない。 1995年度、新宮町教育委員会による発掘調査の結果、掘立柱建物跡・石敷遺構・井戸跡、下駄・漆器腕・肥前系の陶磁器などが発見された。〔以上、『新宮町誌』新宮町・1997、『朝鮮通信使客館跡―福岡県糟屋郡新宮町所在遺跡の調査―』新宮町教育委員会・2000を参考〕

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相島全景。


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相島の港湾。


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先波止。1682年、福岡藩によって建造された。客館の表門の正面にあり、通信使の上陸用の波止場。


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相島のネコ。