地島 西光寺

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地島 西光寺



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 西光寺は、明徳元年(1390)、行覚和尚によって開基された浄土宗寺院である。明徳・文化・明治の三度の火災を経たが、その都度再建された。

 正徳元年(1711)・享保4年(1719)の二度、朝鮮通信使が風雨を避けて地島に来島したことがあるが、その際、西光寺が宿舎として利用された。享保度の場合、一行は8日間滞在しており、製述官 申維翰の著した『海游録』には、地島と西光寺について次のような言及が見える。

  • ……地島は一名、慈島という。地は狭くて陋しく、憩える館舎がない。居民は数10戸、草屋であり粛然としている。三使が国書を奉じて西光寺に入った。寺社は海雲山の下にある。小鐘があり、「筑前宗像郡地浦海雲山西光寺、云々」と刻まれている。寺の規模は狭隘であり、衆人を容れることができない。諸僚は大半が船上におり、私もまた柁楼に留まった。時々、寺に赴いて使臣を問候した。島中の百物は観るべきものがない。しかし、地勢はやや高く、西に大島、南に鐘崎が見える。海際の群山は、歴々として星のようである。周りを見るとやや爽快である。寺の西南の山頂に10余丈の石燈があり、額に「慈島宮」とある。ここには観音仏が奉じられている。また、その西の山脚に燈台・烽台を設けている。みな屋壁があって堅固であり、往来船候望の地である。一峡はことごとく民田であり、禾黍が繁茂しており、人家は必ず牛を飼っている。時には、禿頭の男が穀を刈って帰るのを見ることもある。……

 18世紀初の地島の状況を伝えてくれる貴重な記事である。なお、文中に現れる「慈島宮」は、西光寺の西南方に隣接する厳島神社がこれに該当すると思われる。ただし、現在は観音仏が祀られていない。〔以上、『玄海町誌』玄海町、1979を参考〕

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地島全景。


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地島の港湾。


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厳島神社。


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「慈島宮」の額が掛けられた鳥居(石燈?)。「天保十四年」(1843)の銘がある。。