安養院

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安養院



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 安養院を開いた心誉は、朝鮮国全羅道香白山安養院の僧であったが、文禄の役の際、黒田長政の家臣の池田九郎兵衛に囚われて日本に渡った。その後、数年間、九郎兵衛の家僕として使役され、何度も還俗を迫られたが、これを拒絶した。心誉の志に感じた九郎兵衛は、薬院の地(福岡市中央区西公園周辺)に草庵を建て、彼を置いた。心誉は朝鮮で住んでいた寺の名を採って「安養院」と号した。日本に捕らわれていた朝鮮人で、この地に居住していた者は、多くこの寺に葬られたという。その後、1653年、徳川家光を祀る源光院が創建されたため、現在の境内(福岡市中央区今泉)に移転した。〔以上、『筑前国続風土記』巻3を参考〕

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