香春神社

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香春神社



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 祭神は『延喜式』神名帖にみえる「辛国息長大姫大目命・忍骨命・豊比咩口命」であり、香春岳三岳にそれぞれ鎮座していたが、和銅2年(709)、この地に新宮を建立合祀したという。『豊前国風土記』逸文に、

  • 田河郡。鹿春郷〔郡の東北にある〕。この郷の中に河があり、年魚がいる。その源は郡の東北の杉坂山より出て、まっすぐ真西に流れ下り、真漏川に合流している。この河の瀬は清浄である。そのため、清河原村と号している。いま鹿春の郷というのは訛ったのである。昔、新羅国の神が自ら海を渡り来て、この河原に住んだ。すなわち、名づけて鹿春の神という。また郷の北に峰がある。頂上に沼がある〔周囲36歩ほど〕。黄楊の木が生えている。また龍骨がある。第二の峰には銅と黄楊・龍骨などがある。第三の峰には龍骨がある。(『宇佐八幡宮託宣集』)

 この香春の神が「辛国息長大姫大目命」とされ、新羅系渡来人奉祀の神として、香春岳の採銅や宇佐八幡の成立に関連していると考えられる。古代より本社の大宮司家は赤染氏が世襲し、奈良時代には「常代姓」を賜った。

 延暦年中(782~806)、最澄が香春岳に渡唐安全祈願のため、神宮寺を造って読経したという説話も伝わる(『続日本後紀』)。郡司・百姓らの信仰厚く、「香春峰神」が官社となり、やがて豊前国中、宇佐宮とともに「延喜式式内社」となった。建暦2年(1212)、33年に一度の国家的造営の宣旨が出された。また、古代より近世まで主な祭祀は田川郡規模で行われた。〔以上、「案内板」を参照〕

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本殿。


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由緒の書かれた石碑。


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香春神社より麻生セメント工場を望む。


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香春岳の間部(採洞坑)。