高達寺 浮屠

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高達寺 浮屠

国宝第4号

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 高達寺は、新羅 景徳王23年(764)に創建され、高麗 光宗代以後、ある時、全盛期を迎えたが、今は廃寺となって址だけが残り、いくつかの遺物を伝えている。特に八角円筒形の高達寺浮屠は、ほとんど完全な形態で残り、繊細で華麗な高麗時代の浮屠様式を示している。この浮屠の下台石には、八角の各面に眼象が彫られており、その上には蓮華が彫刻されている。中台石には、亀・龍・雲が彫刻されているが、生動感豊かに表現されているのみならず、雄壮であり、この浮屠の特性をよく示している。上台石には、蓮華が表現されている。その上の胴石には、各面ごとに隅柱が彫られており、その間ごとに門扉と四天王像、映窓が彫刻されている。蓋石は胴石に比べ、相対的に大きく作られており、軒先に華模様が彫刻されている。相輪部には、覆鉢と宝蓋が載せられている。この高達寺址浮屠は、全体的な彫刻手法から見て、同じ寺址に残っている元宗大師慧真塔(宝物第7号、推定975年建立)に近い時期に作られたと推定される。〔以上、「案内板」による〕

*この浮屠については、異論が多く、関野貞(『朝鮮古蹟調査略報告』、1914)は、ただ「西北浮屠」とし、葛城末治(「高達院址の逸名亀趺と浮屠に就いて」、『朝鮮金石攷』、1935)は、円鑑大師塔(新羅末)とし、蘇在亀(「高達院址 僧塔編年の再考」、『美術資料』52、1993)は、「元宗大師慧真塔」としている。


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